徒然なるままに「シン・ウルトラマン」
先日息子から「シン・ウルトラマン早速見てきたよ。お父さんも絶対見たほうがいい」と勧められた。ほ~~!?ウルトラマンメビウス世代の君がウルトラマン全盛期の私にウルトラマンを勧めてくるとは。
「見せて貰おうか!庵野監督のシン・ウルトラマンの出来映えとやらを・・・」
早速ネットで予約し映画館へ赴くとまだコロナ禍の影響か座席はガラガラ。これはまだ映画館全体にコロナ禍の影響で出入りが少ないのかそれとも、シン・ウルトラマンが不人気のせいなのか??
一抹の不安を抱えながら映画開幕。あっという間の2時間でした。劇場でウルトラマンを含み特撮映画を観たのは何十年ぶりだろうか。それこそシン・ウルトラマンを勧めてきた息子が幼少の頃毎年ウルトラマンの映画は上映していて、それを鑑賞した後は円谷のウルトラマンストアに立ち寄りウルトラマンの人形を買わされ、自宅に帰れば怪獣役をさせられ正義の力をかざして渾身の力で殴られ蹴られ最後は爆発まではいかないが「やられた~」と言って倒される悲しい怪獣の役。今から思えば懐かしいが当初のウルトラマンも仮面ライダーも水戸黄門も暴れん坊将軍もアンパンマンも勧善懲悪で非常に鑑賞するのは簡単であった。しかしシン・ウルトラマンは庵野監督の思慮深さかそれとも大人になって穿った視点で観ているのか、スカッと爽快な気持ちにならなかったし、仁義なき戦いを観終えた人がみんな肩で風を切って映画館から出てくるほどなりきりもできなかった。スクリーンに映っているのは確かにウルトラマンであるが明らかに幼少の頃に観ていたウルトラマンではない。容姿は似ているがお決まりの◯ラータイマーはないし、人間っぽくなく外星人という言葉がしっくりくる。ウルトラマンという名称は同じだが中身が違うといった感じであった。
これはウルトラマンに限った話ではないが、大阪は人口の割合で見ると寺院がめちゃくちゃ多いが神社は沖縄に次いで2番目に少ないらしい。その数少ない中でも毎年賑わいのある祭りで有名なのは「天満の天神さん」と言われる大阪天満宮である。この天神さん今では「学問の神さん」で有名な菅原道真公を祭神とされているが、元々は漢字の「天が満ちる」で星の神様で、今のように地図Googleがない時代は北極星や星の動きで旅をしていたところから「交通の神さん」が時代を経て地図が作られるようになり人々が都や都市を形成すると人が密集するので疫病などが流行する。その時は「疫病の神さん」と祀られ、平安時代になると菅原道真公の祟りを鎮魂する為に人が神となり「学問の神さん」として祀られるようになったと聞く。こうして見ると時代と共に望まれるものに形を変えながらも今もたくさんの崇敬をされる天神さん。シン・ウルトラマンを観てこの天神さんの話と妙にシンクロしたのである。そして私はよく仕事で使うのだが「そろばんは良い道具ですか?悪い道具ですか?」とお客様に問うと全員が「良い道具」と返答される。次に「じゃ、今使っておられますか?」と問うと答えは「NO」。何故なら「電卓があるしスマホの計算機のほうが早いから」と。昔は良いものは放っておいても売れた時代がある。しかし今は代替やはたまたイノベーションの革新でそのもの自体が不要になってきているものも多くある。信仰はどうだろうか?歴史を見ると修験道の開祖役行者は奈良時代に山伏のオリジンとされた。熊野曼荼羅などを見ると多くの山伏が先達として参詣者を案内している姿が描かれている。当時は需要もあり人気もあったと思う。そのまま隆盛が続いたかというとそうではなく、当山派の聖宝理源大師が修験道中興の祖と言われる由縁は一度衰退しかけていた修験道をV字回復されたからであろう。恐らく修験道の伝統は守りつつも理源大師の時代に沿った需要のある方法を模索されたことであろう。
そして時代は進み、明治の廃仏毀釈と修験道廃止命令により根絶に追い込まれる。だけれども当時の行者さんのご尽力があって、大正ー昭和ー平成ー令和と時代が進む。修験道はいい信仰であるが決して昔のように
放っておいても需要のあるものではない。絶滅危惧種ともまで言われる今日。まさに曲がり角が見えているようにも思う。役行者が末法の時代に蔵王権現さまを感得し衆生救済を祈願された。今疫病や世界的な環境破壊や争いが起きている現在はまさに末法の時代と酷使しているのではないだろうか。
人類が困った時はウルトラマンがやって来てくれ怪獣を倒してくれる。特撮の世界にウルトラマンはいるが現実には存在しない。そのウルトラマンの存在となり得るのが「希望」であり人々の祈りから生み出されるものではないだろうか。そう考えると我々修験道の行者の使命はここにありと私は思う。人々の様々な祈りや思いを祈願し神仏のご加護を頂く為に修行をしていく。重い故に意義もある。「シン・ウルトラマン」の「シン」は「新・神・進・真」何を思うかはそれぞれ視聴者の思いを馳せるところであるが、当講社も「シン・本山講」としてあらゆる試みに挑戦していきたい。
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