徒然なるままに 「エヴァンゲリオン」
人は生まれると家庭の中で約束や決まり事、学校では校則、組織においては就業規則、社会においては法律があり遵守せねばならないことが多くある。それさえ守れば他は何をしても言い訳ではなく多くの人が共に社会で生きていく為には「マナー」と言われるものがある。これは幼少期両親から教えられる身を美しくと書いて「躾」に近いものであると私は思う。私は趣味でオートバイを乗るが、信号で立ち止まると窓からタバコをポイ捨てしたり、渋滞の道路をジグザグですり抜けていったりとマナーの悪い大人を見かける。電車内では昔は若者がケータイで大きな声で話しているのを大人が咎めたりするシーンが多くあったが、スマホになってからは若者はとても静かにスマホに没頭しているが、寧ろスマホで大声で話しているのは老人が多く「暴走」しているのはむしろ大人の方が多いのではないだろうか。
我々修験道の中においても得度授戒の時に「十善戎」という戎を頂く。私はこの十善戎が好んでいる。それは「十戎」ではなく「善」が入っているところである。100点から戎を破ればマイナス何点という減点方式ではなく、人は煩悩をそもそも持っているのだから修行を積みながら加点方式で高めていき貪瞋痴を無くす生き方を示して貰っていると思うのである。話は飛ぶがこれは「エヴァンゲリオン」と似ているといつも私は思っている。エヴァンゲリオンは見た目ロボットであるが拘束具を纏った人の作りしモノである。拘束具がないと本能のまま暴れ出すので拘束具を纏いエントリープラグと言われるカプセルにパイロットが搭乗し巨人と神経をシンクロさせて操縦する。十善戎という進んで善い行いを実践する事により貪瞋痴をもった人間の本能を抑制しうる拘束具となり、自らのためではなく世の為、人の為に働き生きていくのである。くれぐれも修験道の端くれとして身をおきながら十善戎を実践しない「暴走モード」にはならないよう心がけたい。自戒を込めて。
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