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令和4年8月11日サマースクール

本日は親交させて頂いてる講社のお誘いを受け、京都にある南禅寺の奥の院「駒ヶ瀧道場」にてサマースクールとして瀧行と講習会を当講から3名参加させて頂きました。

ここのお瀧場の守りをされておられる南先生と当講社の大先達とは旧知の仲で、昨年も同時期にこのお瀧場で瀧行をさせて頂いてからは一緒に九州の宝満山の護摩供にご一緒させて頂いたり、今回のサマースクールにお誘い頂いたりと私からは雲の上の存在の行者さんですがいつも優しく接して頂き有り難いです。しかし修行、行となるとその取り組み、姿勢、観念は厳しく寸分のブレも見せないお姿にはまるでお不動さんのような憤怒のお姿に慈悲があるそんな行に対しての姿勢を見受けられました。約15名の参加者が集まり、勤行の後にお瀧場に入らせて頂き瀧行をさせて頂きました。このお瀧も古くは駒大僧正が場を設けられそこから現在に至るまでお守りされてる方々のご尽力があるからこそ、我々が瀧行をさせて頂くことが出来る。これ程有り難い事はないと思います。


その後は線香護摩供の作法を講社の講長から見せて頂き大変参考になりました。形儀、次第、観念がしっかりと参加者にも伝わり大変勉強ななりました。昼食は近くの五右衛門茶屋さんにて🎐夏の風物のそうめん定食を頂き、瀧行の緊張を解す時間となりました。

午後からは聖護院門跡から槇山先生をお招きしての講習会で、今回のテーマは「業」でした。普段何気なく使っている業の漢字。事業や業務などの「ぎょう」と読むものと業物、業人などの「わざ」と読むもの。この業ひとつとっても良いイメージもあれば悪いイメージもあります。割と我々山伏や修験道の仲間の会話では「業」という漢字をよく使います。今回の講習会を受けて「業」への意味の捉え方がぼんやりしていたものからクリアになったものがあります。また山伏は他の人々へ加持、祈祷などを行う事がありますが、

植物に例えると太陽☀や自然🏞の恵みを受けて人(山伏)がそれを介して支援して植物などが成長するものを「人(山伏)」が太陽や自然に成り代わって植物を成長させたと思うのはまさに慢心であり、それこそ「業」のひとつの現れであることを教えて頂いたように思います。先生が仰われた「行者の末路あわれ」のお言葉にならぬよう改めて、初心忘れるべからずで菩薩道を歩んでいきたいと思います。



参加者:昭弘、基法、佳淳 計3名







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