top of page

令和4年6月21日 月護摩供

6月になり梅雨の時期、ジメッと過ごしにくい日もあるなか、あちらこちらで紫陽花の綺麗な姿を見せて貰える素敵な季節でもあります。本日は梅雨らしく☂朝から1日雨が降る月護摩供でした。そして6月初旬に行かせて頂いた講峯詣り(大峯山登拝)のお土産話や、登れなかった方々の代参の御札や御影さんを預かって来たので講員さんにお会いするのが楽しみでした。お昼休みに先月の採燈護摩供養のよりよい護摩供に向けての評価・反省のお話やお山の話で盛り上がりました。登拝中は本当に肉離れの痛みに耐えながらでしたが、お土産話になる頃にはそれも笑い話として話せました。人間は辛くても後から見ればその経験が良き糧となったりいい思い出に出来たりと上書き保存できる生き物です。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」とチャップリンの名言そのとおりだと思いました。今日は☂雨の降る中でしたが女性の参詣者が多く、また特別祈願護摩についてはフランスからのご依頼があり大阪本山講の月護摩も🌍ワールドワイドになって参りました。今後は海外の人の祈願の為に英語やスペイン語など多言語で祈願勤行していく準備も進めなくてはなりませんのでお導師さんには語学学習も必須とさせて貰おうかなと思っております(笑)


さて話は変わりますが、昨日ある講習会にて僧侶の講話を聞かせて頂きました。日本色々と技術や社会の進化は目まぐるしいですが、その裏ではうつ病や自殺者の数が年間3万人と多く、社会問題になっていますし家庭や仕事や病気や事故がきっかけでうつ病や自死願望を抱くのは他人事ではなく明日も我が身となる身近な話です。

そのお話をされた僧侶の方にも相談の問い合わせが多く、夜中でも相談者の所に駆けつけられたりされているとの事。その相談内容を聞くとスピリチュアルなところや占いなど藁をもすがる思いであちこち当たるが結局は先祖が悪い、供養が足りないと最終は金銭の話になるのが多いとの事。

最後に困り果ててまさに駆け込み寺として最後の希望を託して僧侶にお電話され相談や御祈祷などの依頼が多いとの事でした。その僧侶の方も過去に重度のうつ病を患らわれたとのお話を聞いて驚きました。今は克服をされ元気になられているのですが、あんな完璧に見える僧侶の方でも深く思い悩むことがあるのだなと改めて深く考えさせられました。神仏のお側で一番身近におられる神職や僧侶の方でも思い悩む。そう我々はやはり人間なんだなと。仏教を開かれたゴータマ・シッダールタ(お釈迦さん)さんも人間であり裕福な王族を捨て出家し苦行を尽くして最後は悟りを開かれ、その道程で学ばれたことが仏教となり時代を経て我々の身近にあります。お釈迦さんも相当思い悩まれたことだと思います。だけれどもどこかにこの艱難辛苦を抜け出す希望や光明を見出し解脱されたのだと思います。大事なのは希望をもつこと、人は変われること、心に拠り所をもつこと。と昨日の僧侶のお話は本当に胸に刺さりました。そして今日の月護摩供では神仏に手を合わせれる時間があること、その環境が近くにあること、その行動が出来ること、心に拠り所があること。全てが有り難い事だなと改めて感じました。まだまだ未熟な行者ですが悩みや不安などを祈りによって克服し多幸感を持って神仏のご加護がありますように参詣者と神仏の橋渡しができればと思います。また思い悩まれている方に共に寄り添い、共に考え、共に歩んでいける「宿り木」のような存在でありたいと思う1日でした。


出仕者:良信、順道、慈然、法融、良泉、鉄炮水、和光、昭弘、葛西、佳淳 計10名




Yorumlar


最新記事
アーカイブ
  • Facebook Basic Square
bottom of page