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令和3年4月4日 日本遺産「亀の瀬」

「亀の瀬」と聞くとまず思い浮かぶのが

「地すべり」。奈良と大阪の県境にある大和川流域にある地「亀の瀬」は太古の昔には

奈良盆地が大和湖といわれる大きな湖であり、そこから大阪の河内湖へ向かう流通の要とされていたのがここ亀の瀬と言われています。大阪も奈良も太古は湖であったと聞くと、四天王寺の西側に船が着岸し竹之内峠を経由して明日香の都へ辿る道はむしろ最適なルートであったと推測します。


また亀の瀬は古くから修験道の宿としても有名で葛城修験には28宿と言われる経塚があり

第1宿は和歌山の友ヶ島で第28宿が柏原の亀の瀬になります。昔から流通、信仰の要としてされていた亀の瀬が令和2年に「日本遺産」に認定されました。その亀の瀬の地に「亀の瀬蔵王権現」を建立し再度修験や歴史の再興をと葛城修験の膾谷鉄山師と柏原に道場を構える大谷山道場の塩路鐵砲水師が発起人となって勧請されました。その蔵王権現の開眼法要と採燈護摩供に大阪本山講から4名が出仕致しました。聖護院、天台寺門宗、金峯山寺、葛城修験、日光修験、熊野修験、と多くの宗派が一堂に会しました。行者の数も多くなればその数に応じて法螺の声も多くなりそれはそれはいい護摩供でした。護摩供の後は「河内にわか」のお披露目があり一同笑いの渦でした。


また4年前に私が修験道に入るきっかけとなった大峯奥駈修行に参加した時に、ご一緒させて頂いて大変お世話になった行者さんと偶然?必然の再会をし4年間で色々な事がありましたがこうして行者同士と再会出来たのは大変に嬉しい事です。


出仕者:良信、慈然、光映、佳淳 計4名











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