令和7年11月23日 池田 久安寺 採燈護摩供
- 佳淳
- 11月23日
- 読了時間: 2分
「🍁もみじまつり」と題される程、紅葉で有名な大阪は池田市にあります久安寺さんの採燈護摩供に当講から4名出仕させて頂きました。今年は採燈護摩供の日と紅葉がベストマッチでそれはそれは見事な紅葉で、目も心も自然の織り成す景色に癒やされました。ここの採燈護摩供は近畿連合が受託されているので当講以外にも他講の講員さんも朝から来られ皆で道場を準備していきました。
毎年この準備に手伝って頂いていた御老人がおられたのですが、今年の夏に残念ながらご逝去されたと聞き、頼りっぱなしだった人が居なくなると寂しくもありますが、後の段取りが分からなくなるので今後は皆で作業や準備を分担しして今風に言うと「シェア」していかないといけないなと感じた次第です。お昼から多くのギャラリーが見守る中採燈護摩供が始まりました。新たに承仕を任された講員さんは緊張の中で一所懸命されている姿を見て、自分も右も左も分からないまま近畿連合の採燈護摩供に初めて出仕した日に承仕を任されえらいドヤされた事を彼の一所懸命の姿に自分を思い返していました。皆叱られて経験して覚えていってます。初めからしっかりした作法を指導して貰える事は有り難い事と思って頑張って欲しいと心の中でエールを送りました。
採燈護摩供も無事に厳修し、今年は初めての試みで道場内で錫杖によるお加持をしたところ、もう何処の有名なラーメン屋さん?というくらいに長蛇の列が出来ました。お一人お一人に丁寧にお加持をさせて頂きました。採燈護摩供を見に来られた「見学者」から「参詣者」に変わられた瞬間を垣間見て、行者の使命って本当に大切な事だなと改めて思いました。
今年亡くなられた当講の大先達の言葉に「行者(ぎょうじゃ)が行事屋(ぎようじや)になったらあかん。行者の本懐は加持祈祷や」と常々言われていたのを思い出しました。我々はなんの為に修験道という道に歩を進め、行者になっているか?それは自分があれこれ出来て自慢しているようでは「天狗👺」となってしまいます。山中で修行を重ね自然に得た験力を以て世のため、人の為に祈る事が自らの菩薩道であり、その中での加持祈祷は衆生の方々に光明をもたらす尊い作法であると今日改めて感じた次第です。 10月から毎週始まった秋季の法要はほぼ終を見せ、12月7日に厳修される吉野の喜蔵院の採燈護摩で年内行事はフィナーレとなります。
出仕:美観、昭弘、梅本、佳淳 4名



























